シネスイッチ銀座で「呉清源 極みの棋譜」。
冒頭、小田原の自宅で楽しげに談笑する呉清源ご本人と呉清源を演じるチャン・チェンらの映像、続いて簡単な説明テロップ、この物語導入部のテンポが早く、あれ?あれ?という間によくわからないまま囲碁の世界に突入。
で、いきなり「打ち込み十番碁」などと、意味のわからない言葉があちこちに出てくる。囲碁も呉清源もわからない観客のことなどおかまいなしという感じで、淡々とクールに物語は進んでいく。
が、この観客を置いていく潔さがいい。余計な部分をスパッと切り落としたこの映画の潔さに惚れ惚れし、主人公の囲碁への静かな情熱にぐいぐいと引き込まれた。
私は囲碁のことはよく知らない。陣地取りで、碁盤の目(十字の部分)を数えて陣地の多い方が勝ち(だよね?)とはわかるけれど、その程度。碁石の並んだ盤を見て戦局を理解できるほどは知らない。
それでも、あまりの緊張感に対戦相手が失神しても我関せず思考に集中していたり、戦争中には爆風で障子ごと吹き飛ばされても頭巾をつけて何事もなかったように対局を再開する棋士たちの姿からは目が離せない。
それから、全体の映像がとてもやわらかで、昔(第二次世界大戦前後)の日本の風景も大変美しく、これがオールロケで撮影されたことに感心した。
特に肺を患った呉清源が療養所の外で見る、一面すすきの場面など、あ、そういえば、すすき一色の風景って最近見ないなあ(大抵は黄色い外来種のやつが混じってません?)と思わず見とれてしまった。
そこで療養所にやって来て呉清源と会話を交わす作家が川端康成だというのも、後から調べて知った。このへんを大した説明もなくサラリと流している点にも本作のストイックさが出ているなあと思った。
呉清源に扮するチャン・チェンは、囲碁から離れたら、歩いているだけでふらふらと危なっかしいし、重い荷物は持てないしで、まさに囲碁を打つために生まれたような天才棋士を飄々と演じている。
まるで、碁盤の上が世界のすべてで、もしかしたら碁石の並びだけで世の中のすべてを表現できるのではないかという思いで心が大いに揺さぶられた映画だった。
↓呉清源先生

真髄は調和にあり
冒頭、小田原の自宅で楽しげに談笑する呉清源ご本人と呉清源を演じるチャン・チェンらの映像、続いて簡単な説明テロップ、この物語導入部のテンポが早く、あれ?あれ?という間によくわからないまま囲碁の世界に突入。
で、いきなり「打ち込み十番碁」などと、意味のわからない言葉があちこちに出てくる。囲碁も呉清源もわからない観客のことなどおかまいなしという感じで、淡々とクールに物語は進んでいく。
が、この観客を置いていく潔さがいい。余計な部分をスパッと切り落としたこの映画の潔さに惚れ惚れし、主人公の囲碁への静かな情熱にぐいぐいと引き込まれた。
私は囲碁のことはよく知らない。陣地取りで、碁盤の目(十字の部分)を数えて陣地の多い方が勝ち(だよね?)とはわかるけれど、その程度。碁石の並んだ盤を見て戦局を理解できるほどは知らない。
それでも、あまりの緊張感に対戦相手が失神しても我関せず思考に集中していたり、戦争中には爆風で障子ごと吹き飛ばされても頭巾をつけて何事もなかったように対局を再開する棋士たちの姿からは目が離せない。
それから、全体の映像がとてもやわらかで、昔(第二次世界大戦前後)の日本の風景も大変美しく、これがオールロケで撮影されたことに感心した。
特に肺を患った呉清源が療養所の外で見る、一面すすきの場面など、あ、そういえば、すすき一色の風景って最近見ないなあ(大抵は黄色い外来種のやつが混じってません?)と思わず見とれてしまった。
そこで療養所にやって来て呉清源と会話を交わす作家が川端康成だというのも、後から調べて知った。このへんを大した説明もなくサラリと流している点にも本作のストイックさが出ているなあと思った。
呉清源に扮するチャン・チェンは、囲碁から離れたら、歩いているだけでふらふらと危なっかしいし、重い荷物は持てないしで、まさに囲碁を打つために生まれたような天才棋士を飄々と演じている。
まるで、碁盤の上が世界のすべてで、もしかしたら碁石の並びだけで世の中のすべてを表現できるのではないかという思いで心が大いに揺さぶられた映画だった。
↓呉清源先生
真髄は調和にあり
30,
2007







